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特集 テーマ  上野原の市民は何を目指すべきか
 上昇トレンドへの大転換
第53講  上昇トレンドへの大転換−その7
第52講  上昇トレンドへの大転換−その6
第51講  上昇トレンドへの大転換−その5
第50講  上昇トレンドへの大転換−その4
第49講  上昇トレンドへの大転換−その3
第48講  上昇トレンドへの大転換−その2
第47講  上昇トレンドへの大転換−その1





第53講 上昇トレンドへの大転換−その7



『光ファイバー総論賛成』・『各論も賛成』

 前回、私は、上野原市の光ファイバー計画いついて、『情報強者は、この事業の特質を十分理解した上で、今なお携帯電話が通じない地区が残されている情報過疎地の情報弱者の目線に立って、『もし自分が情報弱者の立場に立っていたら』という立場から光ファイバー事業に対する態度を決める』、その基本は、

@ 所有する土地に電柱があり、電柱への光ファイバー回線の共架を要請された場合は共架を了承する。
A 20年7月までに自宅への光ファイバーの引き込み工事を申し込んで、無償で引込み線工事を実施してもらう。
B 上野原市によって無償で提供される『白い箱』(機器収納ボックス)とUBCによって無償で提供される『黒い箱』(音声行政放送受信機:通称情報ターミナル=音声告知端末)の設置を期限内に申し込んで、屋内に設置してもらう。

 という考えを述べました。

『各論賛成』の中味 −『1市民・1ユーザーとしての私の対応』

 今回は一歩踏み込んで、これまで市とUBCから別々に説明されて来た事柄を総合して、第3期工事が行われる新町3町目に住む1市民・1ユーザーとして、『光ファイバー事業にどのように対応し、どのように活用するか』について、次の通り私の判断とその理由を述べたいと思います(自宅敷地内には電柱はありません)。

@ 私は、平成20年7月までに自宅への光ファイバーの引き込み工事を申し込んで、無償で引込み線工事を実施してもらう。

その理由:申し込み期間内が過ぎてから申し込むと(10万円から場合によっては30万円前後の)実費が必要されるから。

〔注〕市の説明にもかかわらず光ファイバー敷設に反対する立場の人達の言い分に従って、期間内に申し込まなかった市民が、工事完了後に引き込み工事の希望を市役所に願い出たら、市役所から、当然のことながら、『申込み期間が過ぎているので、法と規則に則って公平に対応する立場から今さら無償で工事することはできない』と言われた。
『それは困る』といって、光ファイバー敷設に反対する立場の人達にその対策を問い合わせると、『期間内に申し込まなかった結果発生する10万円から場合によっては30万円前後の実費を支弁する責任はない』と言って知らん顔をされる。
結局『困り果てるのは反対する立場の人達の意見を真に受けた市民だ』という現実が生まれている。

A 私は、『上野原市によって無償で提供される白い箱』(機器収納ボックス)と『UBCによって無償で提供される黒い箱』(音声行政放送受信機:通称情報ターミナル=音声告知端末)の設置を期限内に申し込んで、2つの箱を同時に屋内に設置してもらう。

その理由:@〕『白い箱』は2011年7月にわが国のアナログTV放送が終わり、地域のCATVでアナログTVを視聴できなくなった後、UBCによるCATV(月1050円)を受信する時に必ず必要とされるから。私は、自分で地上デジタルTV受信のためのアンテナを自分で立ててメンテナンスするという厄介な方法をとらない。

その理由:A〕『黒い箱』は、市の防災放送やグループ連絡に利用する装置で、録音・再生機能や応答ボタンを備えている。


 例えば、『行政と市民の間の連絡』として、屋外の拡声器による『子ども達への気配り』、『光化学スモッグ警報の発令と解除』などの『防災上野原』の放送を屋内に居ながら聞くことが出来る。留守電のように録音・再生が出来るので、聞き漏らしたことの確認や留守中の連絡を聞くことが出来る。

 それ以外に、『学校からの連絡』、あるいは、『お年寄りの安否確認』などの機能がたくさんある。毎朝、市役所から1人住まいのお年寄りに『お早うございます。元気ですか。元気ならこのボタンを押して下さい』というメッセージが届く。これに応じてのお年寄りが安否のボタンを押して応答すると無事が確認できる、応答がないと『何かが起こった』といって救護活動が行われるということである。

 この『黒い箱』は『市民と市民の間の連絡』にも大いに利用できる。『地区集会の連絡』、『こどもの野球クラブや生け花サークルや子供の塾の行き帰りの連絡』など限られたメンバー相互の連絡が可能になり、日常生活を便利で安心・安全にする機能を持っている。

その理由:B〕『白い箱』は市役所から、『黒い箱』はUBCから無料で貸与される。しかも『黒い箱』の音声を聞く上でUBCとの契約は必要とされない。

B 私は、『白い箱』と『黒い箱』の設置場所をよく検討し、場所を決める。

その理由:『白い箱』は電気の屋内配線のブレーカー(ヒューズボックス)のようなもので、一旦設置すると電話やファックスのように自由に動かせない。動かそうとすると新たに費用がかかる。家族でよく相談して、一番利用しやすく、かつ、じゃまにならない場所をよく検討しておく必要がある。

ここまでの手続きは無料かつ将来の追加費用はゼロである。

CATVの契約切り替え

@ 私は、UBCへの加入時申込金21,000円が免除される期間内に新町3丁目のCATVであるテレビ共和会からUBCのCATVに切り替える(すでに光ファイバー工事が完了している地域は平成20年9月30日までに、工事未完了地域については工事完了後、半年以内に申し込むと申込金が免除される)。

その理由:UBCの一番安価なCATV契約は毎月1050円で、BSを含むNHK総合テレビ・教育テレビおよび山梨放送(日本テレビ)・テレビ山梨(TBS)・フジTV・テレビ朝日の民間放送が受信出来る見込み(テレビ東京は現時点では見通し難といわれているが、私は楽観的に受信可能になると考えている)。

TVの映りがよい地域の場合は、2011年7月までの3年間は自主アンテナまたは上野原市の中心市街地のテレビ共和会などのCATV共聴組合から、現在のアナログTV放送を視聴できる。
しかし、2011年7月以降は地域のCATVからの受信が不可能になる。この時にUBCに切り替えようとすると『白い箱』の設置実費に加えて21,000円の加入金が必要になる。

〔注〕光ファイバー工事完了地域で、TVの映りが悪い家庭は21,000円の加入金が免除される期限の平成20年9月末までに UBCと契約し、『白い箱』からTVまでを接続コードで繋いで綺麗な画像を受信するのが合理的と私は考える。

インターネット契約の切り替え

@ 私は、NTTからUBCへの契約切り替えを検討課題とする。

その理由:新町3丁目の自宅と鶴島の研究室はともにADSL回線でインターネットに接続しているが、当面不都合はないので、将来に向かって『自宅に白い箱と黒い箱を設置』してUBCに切り替え、研究室はNTTのADSLを継続することを検討する。

〔注〕非高速インターネット地域(ISDNまたはADSL)は、これまでの契約を解約して、初期費用5,250円(専用ルーターとハブ代金)+毎月3,675円でUBCと契約し(『白い箱』からPCまでの接続コード代金が必要)高速インターネット環境に切り替えるのが合理的と私なら考えます。

光ファイバーを活用して花咲爺さんになって『宝の山』を掘り当てよう

 第8 WEB教室の第49講で、私は、「光ファイバー回線は上野原市の『宝の山』であります。この宝の山から『ここ掘れワンワンで、小判がざくざく』というのが今はじまった上野原の歴史の通過点なのであります。情報産業として上野原で新しい付加価値を掘り起こすだけではなく、第1次産業である農業はもとより、第2次産業である製造業と第3次産業であるサービス業を支える必需産業がそれと分る形で形成されたというのが私の観点であります」と記した後、「私は『宝もの=付加価値』を生み出すのは『ビジネスが行う生産活動』である」と述べています。

 『ビジネスというと会社が行うことで、私たち1人ひとりには関わりないこと』と考える方がいらっしゃれば、私は即座に『とんでもありません』と申し上げます。『庭の菜園で野菜の種をまいて、収穫すること』は立派に付加価値を生み出す生産活動なのであります。自家菜園で収穫した野菜に私たちはお金を払うわけではありませんが、おなじ野菜をスーパーや八百屋さんで買うと考えれば『購入代金から種と肥料の支出を差し引いた分だけ付加価値が生まれている』ということなのです。

上野原市には付加価値を生み出す年間500万人の大マーケットがある!

 第7WEB研究室の第44講で、私は、談合坂サービスエリアでの『朝取り野菜の直販活動』を紹介しています。腕自慢の農家の方々がはじめられた『朝取り野菜の直販活動』は、昨今、年間1億円に迫る売上高を実現しています。そのお客さんはほとんどが首都圏へ帰る途中の人々で、財布の紐を少し緩めた気分で、『帰宅してからスーパーへ出かけなくてもここで取れたての新鮮野菜を買って行こう』という人達なのです。その数は年間500万人、まさに『宝の山』であり、『巨大な付加価値の大噴水』なのであります。

 『マーケティング活動がしっかり行われれば、毎日の完売は疑いない』と私は思っています。時には閉店時に売れ残ることも起こるでしょう。この時、『出品者は売れ残りをその日のうちに引き取らなければならない』というので、出品を躊躇される年配の方がおられると聞いたことがありますが、閉店時間の延長を検討すれば『売れ残り即廃棄』という『もったいないこと』はなくなる筈です。

上野原市にも『道の駅』が出来る

 下りの談合坂サービスエリアがそうであるように、高速道路のサービスエリアは金網で厳重に囲われて、外から出入りできないようになっています。しかし、あまり知られていないことですが、『朝取り野菜の直販活動』が行われている東京方面の上りの談合坂サービスエリアは近くに車を止めて、『恰も上野原市の道の駅のごとく自由に出入り出きる』ようになっています。

 車で出かけられる方は、道志村や国道20号線の笹子トンネルを出たところにある大和、あるいは、白州町や豊富村にある『道の駅』のことをご存知と思います。味噌・醤油・漬物・饅頭・酒やワイン類・野菜・豚肉などなどそれぞれの土地の農産物とその加工品、あるいは、地下から汲み上げた『うまい水』の供給拠点として賑わっています。


 ここを『スマートインターチェンジ』にする構想が検討されています。『ETC車のみ出入りを認める無人のインターチェンジ』と私は理解していますが、これが実現すると『財布の紐を少し緩めた気分の年間500万人もの人々が集まる巨大な付加価値の大噴水』がその姿を現すことになるでしょう。わくわくするような研究課題ではありませんか。

地場野菜に加わった『環境にやさしい野菜』という新しい意味合い

 これまで、子供たちの『給食に地元野菜を使う地産地消』が推奨されてきましたが、地球温暖化の悪影響が日本の農作物の収穫に影響しはじめた今の時代、『地場野菜』には、ガソリンを使って流通している『流通野菜』にはない『省エネ野菜』という意味合いを持つようになっています。

『光ファイバー情報新幹線』を活用して地場野菜を談合坂の大噴水に繋ぐ

 次回に『朝取り野菜の直販活動』にとって、光ファイバーネットワークがどのように利用され得るのか、『まだ見ぬ夢』を見てみたいと考えます。

2008−5−18   谷口ウエノハラ研究室  谷口 文朗TN







第52講 上昇トレンドへの大転換−その6


『光ファイバー情報新幹線』を活用してゲーム感覚で生活を豊かにする

 1979年9月から1980年8月まで、わずか1年でしたが、私はニューヨーク マンハッタンから鉄道で北へ1時間、近郊に『スリーピー ホロー』(眠気を誘うような空洞)という地名が今も残っているクロートン オン ハドソンのハドソン研究所で、アメリカ人の中でただ1人の日本人としてアメリカンライフを送りました。ちょうど石油が30ドルにまで上昇し、アメリカが不況に突入してくる時でした。

 小さな街の小さな個人経営のショップの店頭に秋冬物のコートやジャケットが並びはじめるクリスマスシーズンの前でした。婦人もののブラウスに『11月末までなら98ドル、12月10日までなら88ドル、12月20日までなら78ドル』という値札が付いているのを見つけました。『アメリカ人は片田舎でもこんなゲーム感覚で生活しているのだ』と新鮮に感じたことを思い出しています。

 『大変気に入ったのですぐに買いたい。少し待てば10ドル安くなる、さらに10日待てば20ドルも安くなる。だが待っている間に誰かが買ってしまえばお気に入りのブラウスは着られない。ここが思案のしどころだ!』という生活感覚が『ゲーム オブ ライフ』(人生のゲーム)ということなのです。『人生のゲーム』というと受験など競争試験のことをすぐ思い浮かべますが、何気ない日常生活の中に、このような『ゲーム』が随所に仕組まれています。宝くじや株式投資も当然その1つですが、インターネットオークションなどはまさに『ゲーム』だと私は思っています。

『プラスサム』ゲームでないと世の中は豊かにならない

 前回、私は、経済学の『ゲームの理論』の中の『プラスサム』という考え方を説明し、経済の仕組みの中に『プラスサム』を可能にする『付加価値創造の仕組み』が仕組まれていることを説明し、

@ 付加価値はビジネスが行う生産活動から生まれること、
A ビジネスから生まれる付加価値はどのように経済全体として集計されるのか、
B 『オールウエノハラ』が豊かになるかどうかは、何はさておいても、私たち上野原市に住む市民と上野原市を活動基盤とする事業経営者がビジネスを通して付加価値を増やせる条件に恵まれているかどうか、
C さらに、付加価値を増やそうという考え方と意欲を持っているかどうかが問われること、
D この枠組みを念頭において『光ファイバーによる情報新幹線効果』がどのように『オール ウエノハラ』の豊かさを生み出すのかを考える糸口にする

  という考えを説明しました。

『ゲームのルール』とくに上野原市の『情報新幹線活用のルール』

 そのために必要なことは、『ゲーム オブ ライフ』という感覚を持って『光ファイバーによる情報新幹線を存分に活用して付加価値創造のプラス サム ゲーム』に参画して行く場合に『ゲームの枠組みとルール』がはっきりしていなければならないということであります。

 私が住んでいる新町3丁目で、最近、市長と関係者出席の下、『光ファイバー事業』説明会が行われましたが、『光ファイバーによる情報新幹線を存分に活用して付加価値創造のプラス サム ゲーム』に参加したいと思っても、その仕組みを理解することは容易ではありませんでした。

市の説明とUBCの説明を1市民・1ユーザーの立場で総合して判断する

 『なぜこんなに複雑なのか』ゲームのルールが複雑で、その解釈が異なればゲームは成り立ちません。私はこれまで、光ファイバー事業に対する執拗な反対運動が続けられる中、市と上野原ブロードバンドコミュニケーションズ(UBC)による説明資料から事業の全貌を理解しようと努めてきましたが、『上野原市は市が担当する部分だけしか説明しない。UBCはUBCが担当する部分だけしか説明しない。1人の市民として、1人のユーザーとして必要なことは双方の説明を総合して、1人の市民、1ユーザーの立場で、私は 情報新幹線活用ルール をこのように理解した』という内容を記すことの必要性に思い至りました。

 『全体の仕組みとルールが明確にならないとフェアで確かな付加価値創造のゲームに参加出来ない』からであります。そのために『光ファイバーとはどんなものか』というところから考えを書きはじめます。

光ファーバーとはどんなものか − 私がはじめて光ファイバーに出会った時の話 −

 私は、光ファイバーにはじめて出会った時の『目から鱗が落ちる思い』を忘れられません。それは40年も前に晴海で開かれた展示会でのことでした。開けられた自動車のエンジンルームに、ヘッドライト・右折左折のウインカー・ブレーキランプ・パーキングランプなどの電気信号を送る銅線の束が『1本の釣り糸のようなプラスチック製の光ファイバー』に置き換えられていたのです。この時『光ファイバーは複数の信号を同時に流している。自動車の軽量化に役立つ』と思いました。

 上野原市で敷設される光ファイバー回線はプラスチックではなくて、透明性が高く、かつ、透明度が低下しないガラス製ですが、ガラス製の光ファイバーは裸のままではポッキリと折れますので、私が目にしている光ファイバー回線は、メッセンジャーワイヤーという名の鋼線とペアで敷設され、光ファイバーと鋼線をスパイラルハンガーでゆるやかに巻いて電柱に敷設されています(説明図参照)。このガラスファイバーの中を複数の信号が『1秒間に地球を7周り半の光速』で流れているのです。このありさまを私は『情報新幹線』と喩えています。

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上野原市の光ファイバー事業は明治・大正・昭和以来の常識では理解出来ない

 わが国の明治・大正・昭和以来の常識と法律は、

@ 『電気は電線』、
A 『通信は有線と無線』(固定電話は有線、船舶は無線)、
B 『ラジオ放送とテレビ放送は電波』

 という3大区分が行われてきました。従って、NTTは光ファイバー回線でTVのような動画像と音声を技術的には送れるようになっていても、現在の法律の下でNTTはTV放送事業をNHKや民放の規模で行うことはできません。

 これに対して上野原市の光ファイバー事業は、区分されている筈の『通信』と『放送』を1本の光ファイバーで行うだけでなく、『インターネットという画期的な情報手段』をも1本の光ファイバーで取り扱う内容となっています。 NTTやNHKが法律の壁に遮られてやろうと思っても出来ないことが上野原市では出来るのです。

 なぜそのようなことが出来るのか。

光ファイバーは情報化社会のライフライン

 情報化社会においては、インターネット環境は、電気・ガス・上下水道・道路・治山治水と同じレベルの新しいライフラインであって、シビルミニマム(市民生活にとって最低限度必要なものごと)の1つであります。その故に、 森 内閣以来、インターネット環境の整備は歴代内閣の最重点課題とされて来ているのであります(インターネットは核戦争が起こってホストコンピューターが破壊されてもどこかのコンピューターを生き残らせようという研究から生まれました。テレビも軍事研究から生まれています。閑話休題)。

上野原市の光ファイバー事業の難解さと私の理解

 上野原市民にとって市の光ファイバー事業は、実にわかり難い構造になっています。
 その理由は、

@ 1本の光ファイバーの中で『これまでの通信』と『これまでの放送』と『画期的な新技術であるインターネット通信』を行うこと、
A 光ファイバーの敷設者とその運用者が異なること、
B しかも『その実用開始時期が 異なる』上に、
C 『その加入形態と費用負担に選択性が与えられている』

 という4点に由来しています。

 このような複雑な事業形態が生まれた理由を私は次のように理解しています。

@ インターネット環境はライフラインであるが故に、税金を支払っている『自然人としての市民』と『人格を持つとされる法人』に対して『あまねく、かつ、機会均等に』最低限度用意しなければならない。そのためには、経済原則を頼りにNTTその他の民間業者に任せていたのでは中山間地の集落まで情報ライフラインが届かずに、中山間地の集落は崩壊する(ここで『あまねく、かつ、機会均等に』というのが『ユビキタス』の意味だと私は理解しています。閑話休題)。
A 情報のやりとりは、鉄道や宅急便と同じくネットワークで行われる。従って、上野原市の全地域を対象にネットワークを築く必要がある(山間と周辺地域の工事は終わったから光ファイバー敷設はこれで終わりというわけには行かない。あるいは、中心市街地はNTTの光ファイバーがあるからそれだけで十分というわけには行かない)。
B 情報過疎地をなくする光ファイバー事業が西原・秋山地区からはじめられたことは『情報弱者優先という上野原市の行政の質の高さ』を示している。
C 合併特例債というチャンスを機敏にとらえて、情報過疎地から情報ライフラインの敷設に着手した上野原方式は、都市集中と山村の過疎化を促進する経済原理の作用を阻止する作用をもつ。

総論賛成から各論賛成へ

 私は新町3丁目に住んでいます。TVについてはBSチューナーで衛星放送を受信し、インターネットについては光ファイバーを利用するまでもなくNTTの銅線のADSLで電子メールやインターネットの利用に特段の不自由はありませんので『情報強者』の立場に置かれているといってよいと思っています。しかし、アナログTVについては地域のCATVの『テレビ共和会』を通して受信していますので、アナログ波が止まる2011年7月以降は市の光ファイバー事業を通してTVを視聴せざるを得ない立場におかれています。

 このような立場で、私はこれまで総論の立場で考え方を表明するにとどめてきましたが、いよいよ自分が住んでいるところで工事がはじめられる時を迎え、『上野原市の説明とUBCの説明を総合して、各論の立場で判断を示すことが必要』と考えた次第です。私の判断は『総論賛成、各論賛成』です。

情報弱者の目線でものごとを判断するのが正解

 私の判断の基準は『情報強者の立場にいる市民は、この事業の特質を十分理解した上で、今なお携帯電話が通じない地区が残されている情報過疎地の情報弱者の立場に置かれている市民の目線に立って、もし自分が情報弱者の立場に立っていたらという立場から光ファイバー事業に対する態度を決める』ということです。私の目には、『情報強者の立場にいる市民による反対運動は、情報弱者の立場に置かれている市民をいじめる以外の何ものでもない』と映っています。

具体的行動の基本

 その判断の上で、具体的にどのように行動するかについて、私の判断は次の通りです。


@ 所有する土地に電柱があり、電柱への光ファイバー回線の共架を要請された場合は共架を了承する。
A 20年7月までに自宅への光ファイバーの引き込み工事を申し込んで、無償で引込み線工事を実施してもらう。
B 上野原市によって無償で提供される『白い箱』(機器収納ボックス)とUBCによって無償で提供される『黒い箱』(音声行政放送受信機:通称情報ターミナル=音声告知端末)の設置を期限内に申し込んで、屋内に設置してもらう。

 私の研究室の調査によりますと、所有地内の電柱への光ファイバー回線の共架を拒否されたために迂回電柱建設に要した市の費用は、財政逼迫が伝えられる中、1億円に迫っているとのことであります。

 住みよい上野原市を創るために、私は、路線バスの赤字解消と上野原市民の生活の向上に役立つデマンドミニバス創設を第5WEB教室で提案していますが、迂回電柱建設に要したこの1億円と市役所の失われた時間が『デマンドミニバス』事業に有効に活用されていたならば、上野原市民の生活、とりわけ、交通手段を持たないお年寄りの生活が格段に向上していたはずだと思っています。誠に残念なことであります。(つづく)

2008−5−11   谷口ウエノハラ研究室  谷口 文朗TN






第51講 上昇トレンドへの大転換−その5


『豊かになる』ということはどういうことなのか

 私が社会に出た翌年のことでした。岸内閣の下で発生した安保騒動後に登場した池田内閣によって『月給倍増論』というスローガンが掲げられました。『毎年月給が7.2%増加すると10年で2倍になる』という考え方でした。複利計算されている定額郵便貯金の金利の代わりに7.2%という経済成長率を当てはめて
1+0.072)10 2 という計算式が示されたのです。

 月給が2倍になっても物価が2倍になったのでは豊かになったことにはなりません。物価が変わらないで、月給だけを2倍にしようというのでした。そんなことは出来るのか、世間は半信半疑の目で見ていました。

『マイナスサム』と『ゼロサム』と『プラスサム』

 宝くじや競馬の当たり券を買った人は儲かりますが、その一方で当たらなかった人は損をしています。競馬の場合は馬券の売上金額から経費を差し引いて、残りを当たり馬券に分配しますから、競馬は『分配金−掛け金=マイナス』という意味で『マイナスサム』のゲームといわれます。

 これに対して、じゃんけんをして勝ったら100円貰い、負けたら100円払うというゲームをする場合、個人には損得が生じますが、ゲームに参加する人全体では『分配金−掛け金=ゼロ』ですから『ゼロサム』(zero sum:合計ゼロ)ゲームになります。

 『利子を考慮に入れない無尽』も『ゼロサム』ゲームと言えるでしょう。10人が毎月掛け金を1万円ずつ10回拠出して、毎月集まる10万円を困っている人から順番に用立てて行く場合、10ヵ月後には全員が拠出したお金と受取るお金は同じですからゼロサムであります。

『プラスサム』ゲームでないと世の中は豊かにならない

 『プラスサム』というのは『拠出した金額より多くのお金を受取ることが出来る』場合を言います。金銭を賭ける場合、『プラスサムはあり得ない』というのが私たちの日常生活の経験ですが、私たちは日常生活の中で、昨年よりも今年、今年よりも来年の暮らしがよりよくなることを願い、現実に長い目で見ると毎日の生活はよりよくなって来ています。

 経済の仕組みの中に『プラスサム』を可能にする『付加価値創造の仕組み』が仕組まれているからです。

『付加価値創造の仕組み』

 池田内閣の『月給倍増論』は『所得倍増論』といわれましたが、実際は『GNP=国民総生産』(グロス ナショナル プロダクツ)の倍増を意味していました。GNPは『日本の国民と日本国に本社を登記した企業が1年間に生み出す付加価値の合計』なのですが、その数字の中には付加価値を生み出す過程で使われた機械設備など資本の目減り分が含まれています。この目減り分は、会社の言葉で言うと『減価償却』、経済学の言葉で言うと『資本減耗』です。この目減り分を差し引く前の付加価値は『粗(グロス)付加価値』、この数字を差し引いた後の付加価値は『純(ネット)付加価値』と言われます。GNP・GDPという場合のGは『グロス』で、資本減耗=減価償却費を差し引く前の数字です。減価償却分を差し引いた後の数字はNNP(ネットナショナルプロダクツ)・NDP(ネットドメスティックプロダクツ)と言われます。

 それはそうとして、当時GNPと表現された粗付加価値は、昨今のニュースでGNPではなくGDP(グロス ドメスティック プロダクツ=国内総生産)といわれています。『ナショナル』と『ドメスティック』で何がどのように違うのでしょうか。

GNPとGDPの違い

 GNPは『ナショナル』、すなわち、『経済活動を行う個人と法人の国籍を基準にして、日本国の国民と日本国で本社を登記した企業が全世界で生み出した粗付加価値の合計』というのがその意味です。これに対してGDPは『ドメスティック』、すなわち、『経済活動を行う個人と法人の国籍は問わないで、経済活動が行なわれる場所が世界ではなく、日本国の領土であることを基準にして集計された1年間の粗付加価値の合計』ということです。

 イチロー選手の国籍は日本国ですが、アメリカで活躍しているからその所得は日本のGNPには含まれるが日本のGDPには含まれない、その代わり日本で活躍する朝昇龍はモンゴル国籍ですが日本で活躍しているからその所得は日本のGDPに含まれるが日本のGNPには含まれないということなのです。

 なぜGNPからGDPに付加価値集計の基準が変えられたのか。『経済の国際化』と『所得税などの直接税から消費税などの間接税への税収の重点変化』がその原因です。このことは機会があればその時に論じるとして、先を急ぎましょう。

付加価値とは『売上高−原材料代』 =『 給料+金利+減価償却+利益+税金』

 有り体にいえば、付加価値とは『売上高−原材料代』、すなわち、『パン屋さんの売上高から小麦粉代を差し引いた金額』です。企業が生産活動を行う時に真っ先に社外に支払われる原材料の代金を売上高から差し引いた残額が付加価値なのです。従って、付加価値の中味は、『従業員の給料・借金で購入した設備代金の金利・減価償却・経営者への利益配分と出資者への配当・税金』ということになります。

付加価値が増加してはじめて社員の給料と経営者への利益配分が増える

 会社の業績をよりよくするために『付加価値を高める努力』という言葉がよく飛び交いますが、『工夫を凝らして250円で売っていたものを300円で売る』ことはまさに付加価値を高めます。あるいは、『300円の原料を250円で仕入れる』ことも付加価値を高めます。

 付加価値の中の金利と税金はやがて社外に支払われて行くお金です。減価償却は将来の設備の買い換えに備える大切なお金ですから、このお金を当てにして給料を増やすわけには行きません。減価償却費とはパン屋さんが『10年後にオーブンを買い換える時のために備えて蓄えておくお金』で、このお金をもとに給料を増やすと、近所に最新設備のパン屋さんが出来て、競争に備えて設備を買い換えなければならない時にお金がなくて、古い設備を使い続ける羽目になって競争に負け、会社はやがて倒産するという運命に直面します。

上野原市で付加価値が増えないと私たちは豊かになれない

 ですから『社員が月給倍増を願う』場合、付加価値が着実に増えなければならないのです。『会社の経営者が受取る利益を増やそうとする』場合も当然付加価値が増えなければなりません。

 逆にいえば、『付加価値が増えない以上、社員の給料や経営者の利益配分を増やすことは出来ない、従って、豊かになることは出来ない』ということなのです。

 『オールウエノハラ』が豊かになるかどうかは、何はさておいても、私たち上野原市に住む市民と、上野原市を活動基盤とする事業経営者が付加価値を増やせる条件に恵まれているかどうか、さらに、付加価値を増やそうという考え方と意欲を持っているかどうかが問われるということであります。

 この点を考察するために、経済全体の枠組みの中で付加価値がどのように計算されるのかを概観します。

国全体の付加価値の計算

 新聞やテレビニュースで報道されるGDPは国全体の付加価値を示していますが、どのようにして計算されるのでしょうか。私は『産業連関分析』という経済学の理論の図式を使うとうまく説明されていると考えています。その枠組みは次の通りです。

   産業間の取引を記録する『投入・算出 表』(インプット・アウトプット テーブル)

 

第1次産業

第2次産業

第3次産業

第4次産業

最終需要

総生産額

第1次産業

X11 12 13 14 F1 X1

第2次産業

21 22 23 24 F2 X2

第3次産業

31 32 33 34 F3 X3

第4次産業

41 42 43 44 F4 X4
付加価値額 V1 V2 V3 V4 GDP
総生産額 X1 X2 X3 X4  

 この表の縦方向と横方向には産業の名前が農林水産業・製造業・サービス産業・情報産業の順に並べられています。そして縦方向に書かれている産業が横方向に書かれた産業に販売した『原材料の金額』が、例えば、21(スモール エックス ニー イチ 以下同じ) という数字で記入されています。以下はその説明です。

@  第2次産業の欄の横方向に記入されている 21 は、例えば、第2次産業が第1次産業に販売した原材料の金額です。これを第1次産業の欄の縦方向の数字として見ると、21 は第1次産業が第2次産業から原材料として買い入れた金額ということになります。プロ野球の勝敗表では、22 という欄は第2位のチームは自分のチームとは試合をしませんのでブランクになりますが、この図式の 22 は、第2次産業の繊維産業が第2次産業の自動車産業に販売したシートベルトの金額、すなわち、自動車産業が繊維産業から購入したシートベルトの金額が含まれていると考えます。

A  第2次産業は原材料以外の用途にも製品を販売します。第2次産業の製品の生産額=販売額の合計を X2(ラージ エックス ニー 以下同じ) としますと、原材料の販売額の合計を X2 から差し引いた金額

     X2−(21222324

は原材料以外の用途に販売された製品の合計金額ということになります。

B  経済学は『原材料用途への販売額を中間需要』、『原材料以外の用途への販売額を最終需要』と定義しています。ですから

     X2 −(21222324)=最終需要

ということになりますが、経済学は最終需要の中味を

     個人消費向けに販売した製品(個人消費)、
     政府(地方自治体を含む)に販売した製品(政府経常購入)、
     製造設備として企業に販売した製品(設備投資・住宅投資)、
     販売されずに企業に溜まった在庫(在庫投資)、
     輸出された製品と輸入された製品の差(海外経常余剰)

と定義しています。

C  中間需要と最終需要の相違はどこにあるのか、『漁業が鰯をペットフードの原材料としてペットフード産業に販売する場合は中間需要』、『同じ鰯でも流通経路を経て人間の食用に販売する場合は最終需要』に記録されます。

D  要するに、何か別のものを作るための手段として製品が販売される時は中間需要、製品が作られて販売される目的通りに使われる場合は最終需要とされるのです。この区別は経済見通、あるいは、将来を展望する場合に極めて重要な役割を果たします(鰯が輸出される場合、中間需要として使われるのか、最終需要として使われるのかは分りませんが、国の外に出て行くので最終需要として扱われています)。この表の F2 は、第2次産業が原材料以外の用途、すなわち、最終需要に販売した製品の金額での合計を示しています。

E  この X2 を第2次産業の縦方向の一番下に転記して、第2次産業の縦方向の欄に記入されている購入原材料代金の合計(中間需要)を X2 から差し引いた V2 は、第2次産業の売上高から原材料代金を差し引いた金額ですから、『第2次産業が生み出した付加価値』ということになるのです。

F  この表はノーベル経済学賞を受けたハーバード大学のレオンチエフ教授が構想した産業連関分析の中の『投入・算出表』ですが、すべての経済取引と取引が行われる全体の枠組みを示しています。わが国では経済産業省のデータなどに基づいて、5年に1回データが作成され、その中間年次は推定データが作成されています。

G  この表が分りやすい点は

     『V1+V2+V3+V4』= GDP =『F1+F2+F3+F4』

という関係がはっきりと読み取れることです。すなわち、『V1+V2+V3+V4』によって付加価値はどの産業で生み出されているかが明確に示される一方で、生み出された付加価値がどのように支出されているかが『F1+F2+F3+F4』によって明確に示されている点です。アメリカは消費と輸入が多く、日本は投資と輸出が多いことが数字にはっきりと出ています。この点は将来を展望する場合に大変重要な意味を持っていますから改めて説明します。

 山梨県でもこのデータが作成されている

 山梨県もこの手法を用いて山梨県のデータを作成しています(ここでは触れませんが、桃とぶどう農家は養蚕農家よりも効率よく付加価値を生み出しているというデータが示されています)。また、山梨県のデータの場合、日本全体のデータで『輸出・輸入』とされている部分は県からの『移出・移入』(=県外への販売・県外からの購入)とされています。

オールウエノハラの経済活動の全体像を思い描く

 読者のみなさまにとって厄介なことを承知の上で、このような経済理論を紹介しているのは『オールウエノハラ』、すなわち、

@ 上野原市で生活している『市民』(『生活者』・『シティズン』)のみなさん、
A 上野原市で商工業を営み、生活の糧を得ている営利法人(『ビジネス』)の経営者のみなさん、
B 行政機関・神社・仏閣の活動に携わっておられる『利益追求を目的としない組織・機構』(狭い意味のNPOではなく広い意味の非営利法人)のみなさん
 
 の経済活動の全体像を頭の中に思い描いて、『光ファイバーによる情報新幹線効果』がどのように『オール ウエノハラ』に表れてくるかを考える糸口を得るためであります。

理論は経験を補う

 将来を展望する場合に、長老の過去の経験が役に立つことはいうまでもありませんが、全く新しい事柄が生まれて来る際に、その効果を評価し、展望する場合、いかに長老といえども過去に経験があるわけではありませんから、長老による展望は『おまじないと大差ない』ということになります。このような時は『因果関係を踏まえた科学の理論』が展望を行う際の有力な手掛かりになるのです。

 ここで紹介している産業連関分析の枠組みは、第2次世界大戦後に『武器弾薬にあれだけの鉄鋼製品を使ったのだから、戦争が終わったらアメリカには不況が来る』とみんなが考えていた時に、ハーバード大学のレオンチエフ教授がこの理論を使って『アメリカには戦後不況は来ない』と展望したのです。事実はその通りになったという実績をこの理論は持っているのであります。


2008−5−04   谷口ウエノハラ研究室  谷口 文朗TN







第50講 上昇トレンドへの大転換−その4


上野原市で『クリエイティブ デストラクション』がはじまった

 『クリエイティブ デストラクション』には『創造的破壊』という漢字が当てはめられています。『新しいものごとが創造される時には、古いものごとが破壊される』というものの見方・考え方で、シュムペーターというオーストリーの経済学者が唱えたものです。

 私はこのことを学生諸君に『学生時代の4年間は、飛行機(=両親)に引っ張られているグライダー(=学生)にエンジンが芽生えて自分で飛べるようになる時だ。引っ張ってもらっている最中にグライダーの翼の一部が壊れて、そこにエンジンが芽生えて、自力で飛べるようになるための創造的破壊が行われる時だ』と話してきました。

 新しいものごとが生まれる時には必ず古い部分が壊れます。そのための破壊を恐れてはならないのです。この飛行機とグライダーの場合に破壊されるのは『養い、養われるという親子関係』、破壊の中味は『子供の側からは親離れ、親の側からは子供の自立を促す形の突き放し』なのであります(学生諸君へのこの話の続きは、『翼にエンジンが芽生え、引っ張ってもらうロープを切り離して、自力飛行しはじめたグライダーは、牽引しくれていた飛行機と横並びで飛行を続け、エールを交換しながら2〜3年、あるいは、数年の間、人生の伴侶を得るまで飛び続ける』ということでした。閑話休題)。

『オール ウエノハラ』に発せられたUBCのメッセージ

 1年後に光ファイバーの運用が全地域ではじまろうとしている上野原市では、今まさに『創造的破壊』の時を迎えています。その時の到来を知らせるメッセージが、私たち『オール ウエノハラ』、すなわち、

@  上野原市で生活している『市民』(『生活者』・『シティズン』)のみなさん、
A  上野原市で商工業を営み、生活の糧を得ている営利法人(『ビジネス』)の経営者のみなさん、
B  行政機関・神社・仏閣の活動に携わっておられる『利益追求を目的としない組織・機構』(狭い意味のNPOではなく広い意味の非営利法人)のみなさん

 に向けて、4月14日の上野原ブロードバンドコミュニケーションズの開局記念式で発せられました。

メッセージに示された『高い志』

UBC開局記念式で発せられたメッセージの核心は、

@  ケーブルテレビ事業による美しい『地上デジタル放送映像の提供』
A  インターネットプロバイダー事業による『高速インターネット環境の提供』
B  行政放送と自主放送による『生活情報の提供』

 によって、『オール ウエノハラ』の発展に全力をあげて努力すること、その努力から生まれる利益を『オール ウエノハラ』に還元するということと私は承知しました。

このメッセージを『市民の意識』で受信して、生活に活かす

 このメッセージを私たちは『市民の意識』をもって受信し、毎日の生活に活かさなければなりません。

 私たち上野原市の市民は『対等合併によって町民が市民に、村民が市民になっています』から、『市民=シティズン』という英語の表現がぴったりと当てはまっています。『町民・村民』と『市民』はどこがどう違うのか、『外から見える部分』についていえば『シティー=市役所や金融機関などがある大きくて、重要な タウン(街・集落)に住んでいるか、市役所や金融機関のない普通の タウン に住んでいるか』の違いですが、『外から見えない意識の部分』についていえば『心ならずも地縁・血縁に縛られてものごとを判断しながら生活しているか、地縁・血縁に縛られない自由な個人の立場に立って、自分でものごとを判断しながら生活しているか』ということです。

 地縁・血縁から開放された生活をしている首都圏の知人に『上野原市で、有利な合併特例債を活用して、山奥の情報過疎地から先に光ファイバー回線の敷設工事が市によって進められているが、その工事を妨害する市民運動がある』と私が話しますと、100人中100人が『信じられなーーーい』と言います。

CATV事業のCATV共聴組合からUBCへのバトンタッチによって生活の品質が格段に向上する!

 今上野原市ではじまった『創造的破壊』を真に意味あらしめるには、『外から見える部分について、破壊とそれを乗り越える努力をすること』が必要です。その中味は、『上野原テレビ共和会のように発展的解消を意思決定されている場合は、粛々とその手続きを進めると同時に、これまで共和会に蓄積された番組制作のノウハウなどの知識と経験を活かして、上野原市のための番組を制作し、UBCによる光ファイバーネットワークを活用したTV行政放送プログラムに取り入れてもらうこと』であります。

 市内にある60を越えるCATV共聴組合事業のUBCへのバトンタッチによって私たち上野原市民の生活の品質が格段に向上します。

その具体例、それは、東京大学医学部小俣先生の講演を全市民が聴けるようになること!

 4月28日から5月5日まで、上野原市の中心市街地のCATV共聴組合である上野原テレビ共和会は、上野原市主催で、上野原市ご出身の東京大学医学部消化器内科小俣教授を講師に迎えて、3月3日にモミジホールで行われた『胃がん・直腸がんについて』の90分の講演を1日3回放送しています。『胃がんはピロリ菌という細菌の感染によって発生するという研究結果を紹介され、原因が解明された以上、孫の世代では胃がんで死ぬことはなくなる』と話されたこのすばらしい講演を聴くことが出来るのは、当日の出席者と上野原テレビ共和会加入者に限られているのが現状です。

 上野原市が予算を組んで、上野原ご出身の先生が噛んで含めるように話されたこの講演の再放送を見ることが出来るのは上野原テレビ共和会に繋がっている市民に限られるということなのです。なぜこのようなことが起こるのか。それは『上野原市で60以上もあるTV共聴組合の中で、番組を制作・発信出来るのは、上野原テレビ共和会だけである』からであります。

 4月14日以降、UBCは光ファイバー回線工事が終わった中山間地と中心市街地の周辺地域でCATV事業をはじめています。上野原市が無償で設置した白い情報終端箱を経由してUBCのテレビ画像を受信出来るようになっている地域のみなさんは、小俣先生の講演を、携帯電話が通じない地域でも、居ながらにして視聴できるようになのであります。『百聞は一見にしかず』と言います。『この講演のVTRを上野原のすべてのご家庭で、家族そろって視聴して下さい。この講演を視聴できるようになることの品質』を身体で分って頂けると思います。

 私は以前、上野原テレビ共和会で番組のVTRを500円で購入したことがあります。共和会に申し込めばVTRを買えると思っています。講演を主催した市役所に『地域の憩いのサロンに出向いてVTRを映して欲しい』と申し出てもよいではありませんか。私に頼まれれば、車に谷口ウエノハラ研究室のプロジェクターを積み込んで、ボランティア活動として引き受けます。上野原市が行なっている情報通信基盤整備事業の意味を分って貰って、みなさん方にクオリティーオブライフの向上を実感してもらいたいと思うからです。

町民・村民意識から市民意識への意識部分の破壊と創造

いまひとつやり遂げなければならないことがらは『外から見えない意識の部分についての破壊と創造』です。すなわち、『心ならずも、あるいは、これまでがそうであったからという理由で、地縁・血縁になお縛られながらものごとを判断しつつ生活している 町民・村民の意識を地縁・血縁から解き放って、ものごとを自分で判断しながら生活する 市民意識 に発展的に解消させる努力』であります。

UBCの『高い志』を成し遂げるための『手段の品質』

 私が『オール ウエノハラ』を構成されるみなさま方に、『分った』というだけでなく、是非、考えの基礎に入れて頂きたいと思うのは、『この高い志を成し遂げるための手段、すなわち、上野原市が合併特例債を活用して敷設している光ファイバー回線の品質』が次のように説明されたことであります。

 『UBCの光ファイバー回線の品質は、これを鉄道に喩える16両編成の700系のぞみ号がわずか3分の間隔で発車する輸送能力、あるいは、都留市で実験されているリニア新幹線に迫る品質で、上野原市の隅々に情報新幹線が走りはじめ、東京都心と同じ情報環境が整う』というこであります(4月14日のUBC開局記念式典における加藤社長挨拶)。

『オール ウエノハラ』に生じるプラスは『クオリティーオブライフ』と『プロダクティビティー』の向上

 今、上野原市の中山間地と中心市街地の周辺では、中心市街地より1年も早く、一番奥まった集落から順に3分間隔で発車する700系のぞみ号の『情報新幹線』が走りはじめたのです。そこから生まれる『クオリティーオブライフ』(生活の質)と『プロダクティビティー』(生産性)の向上の中味はどのようなもので、どのようにして生まれてくるのか、しっかりと考えなければなりません。

プラスの評価尺度は『マネー』と『時間』

 『クオリティーオブライフ』と『プロダクティビティー』向上のメリットを受けるのは、『オール ウエノハラ』であります。どのようなメリットを何時、誰が、何処で、何ゆえに受取るのか、その中味はそれぞれのTPO(タイム・プレース・オポチュニティー)によってさまざまに変化しまので、ここではメリットを受ける『自然人としての市民』と『制度のうえで人格を持つとされる法人』を一括して『受益者』(ベネフィシャリー)と呼び、すべての受益者に共通している要素、すなわち、『お金と時間について生じる効果』(イフェクト=ベネフィット=プラス アルファ)について考えることにします。

『プラスにプラス』と『マイナスのマイナス』という2つのプラス

 メリットととして生じるプラスは『プラスが増えるという形』と『マイナスが減るという形』を取って現れます。

 〔1+1=2〕で明らかに『+1というプラス』が生じていますが、〔1−(−1)=2〕においても『+1というプラス』が生じています。『歯医者さんへ行って治療をしてもらうと、歯が痛いという大きなマイナスが減ることは、大きなプラスが生じるのと同じだ』ということです。このプラスは、経済行動の根本を説明する分数の分子の側で生じる変化であります。

経済行動の根本を説明する『分数』

 私たちが生活する場合にせよ、会社などの組織機構が活動する場合にせよ、何らかの成果をあげるための活動には必ず費用と時間が費やされます。このことを分数で表現すると、分子に成果(アウトプット:産出)を置いて、分母に費用と時間(インプット:投入)を置くという形で表現することになります。
 
 この分数は『1単位の費用と時間で得ることが出来る成果』を表わしています。個人の日常生活であろうと法人の事業活動であろうと、人間が行うすべての経済活動は『あらゆる瞬間にこの分数の値を少しでも大きくするために行われている』ということなのであります。

『ビジネスは分母と分子の双方』に、『市民と利益を追求しない団体は分母に注力』

 ビジネスの場合は、分母のコスト要因を小さくすることによって分数の値を大きくする活動だけでなく、新製品や新サービスを開発して分子の『売上高』あるいは『付加価値』、さらには『利益』を大きくする活動の成果が客観的な数字として出て来ますから、分子を大きくする活動と分母を小さくする活動の双方に力を入れています。
 
 これに対して、『市民』の日常生活と『利益追求を目的としない組織・機構』の場合は、活動の成果(満足度)の評価が人それぞれによって異なり、同じ人の場合でも時と場合によって同じものごとに対する評価が異なりますので、分子を客観的な数字で示すことは出来ません。しかしながら、『市民』の場合も『利益追求を目的としない組織・機構』の場合も、必要とされる費用と時間は客観的な数字で示されますから『分数の値を大きくするために分母を小さくする』活動に大きなエネルギーが注ぎ込まれるということになります。私たちの日常生活において、『わずか1円でも安く』、あるいは、『わずか1分でも少ない時間で』というのが生活の根本的な判断基準になっているのです。

 『わずか1円でも安く』というのはみなさま方の毎日のお買い物の際の『買う・買わない』の意思決定のプロセスではっきりと現れてくることです。『わずか1分でも少ない時間で』というのは通勤や通学の行き来の際の道順で、家と家の間の人ひとりがやっと通れる『けもの道』が利用されることにはっきりと現れているといってよいでしょう。

光ファイバーによる時間の節約と経費の節約から『オールウエノハラ』に新しいプラスが次々に生まれて来る

 上野原市の光ファイバーは『オール ウエノハラ』のあらゆる活動に時間と経費の節減の道を開き、節減された時間と経費の枠の中で新しいものごとに取り組む余地を生み出してくれるのです。

 今、具体例を1つ挙げよと言われれば、私は、上野原東京西工業団地が完成後数年経つのに半分が売れ残っていたところ、市の光ファイバー計画が進むことによって昨年一気に完売となったことを挙げたいと考えます。今後、ここから上野原市にどれだけの効果をもたらされるか、私は、法人税、市民税などなどの他に、住宅需要などなど上野原市を活性化させる要因が次々と生まれてくることを確信しています。


2008−4−27   谷口ウエノハラ研究室  谷口 文朗TN






第49講 上昇トレンドへの大転換−その3


『ネセシティー』と『ディスクレッション』

ものごとについて考察する際に、@毎日の食料のように生命を維持し、子孫を残して行く上で必ず必要となる部分(必需:ネセシティーの部分)と、A装身具や娯楽のように生活の中味をより高めて、心豊かな生活をするためにあった方が望ましいという部分(随意:自由に選択し、自由に自分の考えを決めること ディスクレッションの部分)に分けて考えるとものごとが分りやすくなると私は考えています。

このことを私たちの大昔の集落に当てはめますと必需(ネセシティー)の部分は『食料が得やすい、水がある、風水害という自然からのチャレンジあるいは他の集落からの攻撃から守られる』という部分であり、随意(ディスクレッション)の部分は『仲間や他の集落との交流あるいは収穫感謝祭などのイベントや装身具など』は生活の質を高め、より楽しく生きる上であった方が望ましいという部分と言えるでしょう。

その昔、農耕と狩猟だけが人々の生活の糧を得る手段であった場合は、交通と通信はディスクレッションの部分であったと考えられますが、交易がはじまり、交易が生活の糧を得る重要な手段となるにつれて、交通と通信はディスクレッションの部分からネセシティーの部分に位置づけが徐々に変化したと言えるでしょう。

ネセシティーとディスクレッションの境界線

ネセシティーとディスクレッションの区分は、截然と線引きされる絶対的な区分ではなく、昔も今も、時代とともに変化する、あるいは、同じ時代の中でも人それぞれによって異なっていると考えなければなりません。現在について言えば、PCや携帯電話は若者にとっては必需品であってもお年寄りにとっては未だ随意品に留まっている場合が多いといえるでしょう。『豊かさ』がこの区分を変化させる根本の要因であると私は考えています。

第1次産業・第2次産業・第3次産業・さらにその上に第4次産業

わが国では、人々が生活の糧を得る手段が歴史とともに農林水産業(第1次産業)から製造業(第2次産業)、さらに情報・サービス業(第3次産業)へと3段階に変化していると政府の資料や毎日の新聞やテレビのニュースで言われていますが、私は、サービス産業が第3次産業であり、情報産業を第4次産業と位置づけ、4段階に変化していると見るのが正解と考えています。

サービス産業と情報産業を分ける理由

サービス産業と情報産業はその成り立ちが根本的に異なるからであります。

  機会があれが詳しく説明しますが、ここでは、

@  情報産業では、『もの』(グッズ)と同じように、生産された情報が生産された場所からカストマー(対価を支払うお客さん)のもとへ移動する、従って、情報産業においては、カストマーに対するマーケティング(市場開拓)とセールス(販売)に際してお金の要素だけを考えに入れればよいのに対して、医療や教育などのサービス産業ではカストマーがサービスが生産される場所へ出向いて来ないとサービスが受けられないこと、従って、カストマーに対するマーケティングとセールスにおいてカストマー(お客さん)がお金は十分に持っていても時間の余裕を持っていないと商売が成り立たない、逆にカストマーが時間の余裕は十分に持っていてもお金を持っていないと商売が成り立たないこと、
A  情報は、売っても売っても所有権がユーザーに移転しないでなお生産者の手元にそのまま残ること(だからビルゲーツは若くして大いに社会の役に立ちながら、またたく間にアメリカでナンバーワンの大富豪になりました。そして大金を社会に寄付して、利益を社会に還元しています。閑話休題)、

  を指摘しておきたいと考えます。

これだけ産業の成り立ちが異なるにも拘わらず『グッズでないものごとをすべて非製造業=サービス産業』とするという考え方が定着しているのは『経済学の怠慢』だと私は考える次第です(明治時代に窃盗罪が成り立つとされた電力でさえ非製造業として扱われ、サービスに分類される場合があります)。

上野原市に情報産業が誕生した!

ここでの問題は、そんなことではありません。大切なポイントは、UBCという情報産業がこの上野原市でいよいよスタートしたことであります。

  上野原市では、

@  東京都心に比べると相対的に農業と林業など第1次産業の比率が高い中で、上野原市でも、全体の流れが第1次産業から第2次産業へ、第2次産業から第3次産業へ、さらにその上の第4次産業へと変化していること、
A  この変化の過程で、第4次の情報産業の役割が、第1次産業においては本業を支える随意産業、第2次産業においては本業を支える必需産業、第3次産業(サービス産業)においても本業を支える必需産業、その上に、第4次産業、すなわち、情報そのものを取引の対象とする情報産業が形成された

  ということであります。

歴史の中で形成された『4重の鏡餅』

歴史を観察しますと、第1次産業の上に第2次産業が、第2次産業の上に第3次産業が、さらにその上に第4次産業が乗っかって『4重の鏡餅』が時とともに大型化する現象が起こっています。その中で、わが国の就業人口や付加価値を見ると第1次産業が縮小し、鏡餅が不安定になって、ひっくり返る『アップサイドダウン現象』が起こって、社会が混乱するのではないかという懸念が生まれています。

香港やシンガポールのような都市国家は、現に農業や林業はなくなっていますが、社会は立派に機能しています。これは経済が開放され、貿易と資本投資が自由化されているためです。かつての徳川時代のように鎖国されたら、都市国家はすぐに潰れてしまいます。日本も今鎖国したら国が潰れてしまいます。

『注意深い楽観論の立場』の確認

私は、これまで「都市国家で『鏡餅のアップサイドダウン現象』が起こっても立派に生きてこられたのは、地球全体がボーダーレスエコノミー化する中で、4重の鏡餅の構造が保たれてきたためである。その証拠に、今でも世界中で農業産品の生産が過剰になり、生産制限が行われているではないか」と考えてきましたが、『地球は宇宙に対して鎖国している』ので、果たして何時まで『地球全体で4重の鏡餅の構造が保てるのか』真剣に自問自答しなければならないと考えはじめています。そうなれば、世界経済は大混乱に陥ります(このことは『人類史上、紙幣はすべて紙屑化し、ゴールドだけが真の通貨として機能した。ただ今現在、ゴールドは通貨ではなく、装身具や電子部品の材料としての役割を持つだけになっている。紙幣はすべて紙屑化したという人類が共有している紙幣の運命がドルという紙幣にも起こるのか』という点と同時に論じなければならないと考えています)。

ここでは、従来通り、『予見可能な将来』にそのような問題は発生しないという『注意深い楽観論』の立場で、上野原市の長期展望を進めたいと思います。

UBCはサービス産業ではなく、情報産業である

4月14日に上野原ブロードバンドコミュニケーションズの開局記念式典が行われ、いよいよ上野原市で情報産業の活動がはじまりました。これは文字通り『歴史を画する』画期的な出来事なのであります。その際に配られたの会社説明資料の表紙に、『SERVICE』という文字が3つ書かれていますが、『UBCが提供し、お客さんが対価を支払う対象は、学習塾や歯医者さんのようなサービスではなく、情報である。ここのところを勘違いしないことがUBCにとってもそのお客さんにとっても大変重要だ』と私は考えています。

上野原市の光ファイバーは『ここ掘れワンワンの宝の山』

第8WEB教室の冒頭に、私は、『対等合併によって誕生した上野原市では、ユビキタス社会のインフラストラクチャーをフル活用したライフスタイルを確立する努力の中から、10〜20年、否、50〜100年の長期上昇トレンドが生まれる。何故か。ユビキタス社会のインフラストラクチャーとライフスタイルは、河岸段丘という上野原地域のデメリットをメリットに転じさせ、首都圏に最も近い田園都市(Pastoral Community)に首都圏のエネルギー、すなわち、企業と人々を誘引するからだ』とその理由を記しています。

光ファイバー回線は上野原市の『宝の山』であります。この宝の山から『ここ掘れワンワンで、小判がざくざく』というのが今はじまった上野原の歴史の通過点なのであります。一気呵成に、情報本業として上野原で新しい付加価値を掘り起こすだけではなく、第2次産業である製造業と第3次産業であるサービス業を支える必需産業がそれと分る形で形成されたというのが私の観点であります。相乗効果の源泉が湧き出したと言ってもよいでしょう。

『光ファイバーという名の神輿』

今、上野原市ではすばらしい未来への鼓動がはじまっているのです。これだけ意義のある光ファイバー事業に対して反対方向への引っ張る力が作用して、無駄なエネルギーを費やす構造が定着している上野原市の市民意識をかなぐり捨てて、今生まれた『光ファイバーという名の神輿』をみんなで担いで上野原市の長期上昇トレンドを確かなものにしなければなりません。

UBC加藤社長のご挨拶から

4月14日に上野原ブロードバンドコミュニケーションズの開局記念式典で、UBC加藤社長が挨拶の中で話されたことで、私の記憶にもっとも強く残った部分を以下に紹介します。

『UBCの光ファイバー回線の品質は、これを鉄道に喩えると、16両編成の700系のぞみ号がわずか3分の間隔で発車する輸送能力、あるいは、都留市で実験さられているリニア新幹線に迫る品質で、上野原市の隅々に 情報新幹線 が走りはじめたということであります』

1月に私は秋山温泉から写真付きのメールを受信するのに90分も待たねばなりませんでしたが、それが『あっ』いう間に受信できるようになったのであります。

2008−4−20   谷口ウエノハラ研究室  谷口 文朗TN






第48講 上昇トレンドへの大転換−その2


社会変動の根本は『@技術・A価値観・B政治・経済システム』 

第8WEB教室の冒頭で、私は、社会を変動させる要因、すなわち、社会を繁栄させたり社会を衰退させる要因を見極める際の判断基準は 『政治的イデオロギー(主義主張)ではなく、人々の生活にプラスになるかマイナスになるかというプラグマティズム(実利主義)であること』および『チャレンジ アンド レスポンスという歴史観』について私の考えを述べましたが、今回から、社会変動を惹き起こす個々の要因についての考えを述べたいと考えます。

『チャレンジ アンド レスポンス という ものの見方・考え方』に立って、社会の衰退と繁栄を観察すると、ものごとの存立を脅かして衰退させる要因、あるいは、社会に新しい可能性を拓いて進歩・発展させる要因が綱引きをしつつ絡み合っていることに気付きますが、私は、@技術、A人々の価値観、B政治・経済システムを主要因として取り出すことが出来ると考えています。

『新しい技術』が生まれることによって、これまでの技術によって成り立っていたものごとが死に絶えて行くことがしばしば起こります。鉄道が生まれた時、馬車は全滅しました。その一方で、鉄道が生まれた時、より多くの人々がより安い運賃で、より遠くまで、より早く、より快適に移動できるようになりました。鉄道は蒸気機関や通信の技術の目覚しい技術進歩を惹き起こすと同時にレールや機関車など鉄鋼製品の需要を生み出しました。

カラーテレビが生まれたために白黒テレビは全滅しました。その一方で、カラーテレビによって人々はより一層美しい、より一層臨場感のある映像を見ることが出来るようになりました。

より最近の身近な例では、携帯電話が生まれたことによって、街中の公衆電話がほとんど姿を消してしまいました。その一方で、携帯電話によって人々は時間と場所の制約から解き放たれて、何時でも、どこからでも電話で話せるようになりました。それだけではなく、携帯電話がインターネットに繋がることによって、携帯電話は固定電話をはるかに超えた機能と役割を私たちの日常生活の中で果たすようになっています。

新しいことがらは『イノベーション=技術革新』といわれますが、これに対して現在行われていることがらは『コンベンショナル』という形容詞で表現されます。イノベーションは既存のものごとを脅かしますが、既存のものごとでは得ることが出来なかった新しい、すばらしい可能性を拓いてくれています(ちなみに、時代を先見する知恵に対して、時代の常識は『現在時点における知恵という意味でコンベンショナル ウイズダム』といわれています。閑話休題)。

技術と同じように『人々の考え方=価値観』も新しい価値観が古い価値観と入れ替わって、古い価値観の持ち主を社会から退場させます。例えば『男女平等』が時代の価値観となっているのに封建時代の『男尊女卑』を主張する男性は人生の伴侶を得ることが出来ず、子孫を残すことが出来ないでしょう。トイレと炊事場が共用となっている木賃アパートは、今の時代の若者の価値観に合わないために、幾ら家賃を安くしても入居者を確保することは困難で、社会から消え去って行きます。『プライバシー』という新しい価値観がワンルームマンションを求めさせているからです。

政治・経済システム(仕組み)もまた、大きな社会変動を惹き起こします。経済の仕組みが変わると何がどのように変わるか、機会があれば詳しく説明しますが、1ドルが360円と決まっていた固定為替相場制度の時代は『企業は日本国内で生産して輸出をすれば大いに儲かりました』が、1ドル360円が308円になり、やがて240円に、さらに180円になり、最近の120円から100円に変動する変動相場制度の時代では『日本国内で生産して輸出するのではなく、海外で生産してそこから輸出するのが儲かる時代になっている』ということであります。変動相場制の時代に国内で工場を建設して輸出するのは『労多くして益なし』ということなのであります。上野原市に本社がある上場第1号企業である株式会社エノモトもシンガポール、フィリピン、中国で生産するようになっています。

政治システムについては、法律や規則が社会変動を生み出していることを書き留めておきたいと考えます。自明のことですから。

その最深奥には『人口変動』がある

技術・価値観・政治経済システムなどが社会の栄枯盛衰を生み出していることは観察すれば分ることですが、私は、これらの要因の一番奥まったところにある社会の変動要因は『人口変動』であるという 故 森嶋 通夫 ロンドン大学名誉教授の考え方が一番分りやすいと思っています(森嶋先生は恩師のゼミの大先輩で、一度でしたがロンドン大学の研究室に伺ったことがあります。それは質素な研究室でした。閑話休題)。

わが国はいよいよ人口減少時代に入って行きます。上野原市の市民、なかんずく、中山間地にお住まいの市民を情け容赦ない勢いで襲っている少子化・高齢化も人口変動を原因とする社会変動であります。

『人口の減少』という変動要因は社会にプラスよりはマイナス方向の変化を生み出しますが、マイナスの効果を減殺したり、大きくはないにせよプラスの効果を生み出すこともないわけではありませんので、そのための努力をしなければならないと思っています。

上野原市では『人口の減少』から生じるマイナスの効果を減殺したり、大きくはないにせよプラスの効果を生み出す社会基盤が作られていることを述べたいと思います。

『情報と交通』

 私は、先週、桃の花が満開の笛吹市釈迦堂の古代遺跡を訪れました。国道20号線と中央高速道路工事の際に突然姿を現したこの遺跡を私はこれまで訪れたことはありませんでした。古代の遺跡には興味が湧かず、私は未だに静岡県の登呂遺跡を訪れていないのですが、釈迦堂遺跡の土器などの出土品の大きさとその多さに驚きを禁じ得ませんでした。笛吹市と甲斐市が共同で設立・運営している博物館を見学して、人々はなぜこの地に集落を築いたのかに興味を持ちました。住みやすかったといえばそれまででしょうが、どのような条件揃えば住みやすいということなのか、改めて考えさせられました。

食料が得やすい、水がある、あるいは、風水害という自然のチャレンジから守られるという地理的条件の他に、他の集落と交流・交易する交通の便が重要な条件であっただろうと私は推測した次第です。釈迦堂地域に産しない黒曜石が出土した事実によってこの時代にすでに交易が行われていたことが裏付けられていたからであります。

人々が集まるところ集落が生まれ、集落が拡大して都市が形成され、社会は発展します(東京・ロンドン・ニューヨークなど都市は東に発して、西へ西へと発展するという共通点があります。その理由について私は未だ納得できる説明を聞いたことがありません。閑話休題)。逆に、人が去り行くところ過疎が生まれ、社会は崩壊します。

なぜ、人が集まるのか。交通の便がよいところに人は集まり、人が集まるから情報が豊かになり、交通と情報が相乗効果を発揮して交易を活発化させ、一段と人々を吸引して都市が生まれるというのが自然の順序だろうと考えるのですが、如何でしょうか。

交易は新たな富を生みだすことが経済学の中の『比較生産費説』によって証明されています。人々は利潤動機を持っていますから、交易によって一旦利益が得られることが分ると次々に交易の輪が広がって行くことになります。逆に、交通の便が悪いところからは人は離れ、人が離れるから情報が貧弱になり、それが原因となってさらに人が離れるという悪循環が動き出すと私は考えています。

情報と交通はその昔から交易の基本的条件でありました。現代社会では情報と交通は産業が定着する『車の両輪をなす基本条件』なのであります。

私は、情報と交通が潤沢なところを『インフォメーション&トランスポーテーション リッチ』、逆に貧弱なところを『インフォメーション&トランスポーテーション プアー』と表現したいと考えます。

 この観点から、上野原市ではじまった光ファイバーによる情報通信基盤整備事業は現代社会における繁栄のための『車の両輪をなす基本条件』の一方が整ったことを意味するのであります。


2008−4−13   谷口ウエノハラ研究室  谷口 文朗TN






第47講 上昇トレンドへの大転換−その1


合併によって誕生した『 新生 上野原市民』のエネルギーの結集

 映像大賞作成の論議の中で私が上野原地域の過去の歴史と未来について確認したことは、

@ 上野原地域は、明治以来、鉄道と道路の開通と水運の喪失および繊維産業の衰退の中で、長い下降トレンドの渦に巻き込まれてきた、
A 最近10〜20年間に、この地域で民活による上昇トレンドが生まれ、長い下降トレンドとの鬩ぎ合いが起こった、
B 『鳴門の渦潮のような鬩ぎ合い』の中で、今や上昇トレンドが明確に優勢になり、今、この地域に上昇トレンドを確かなものにするチャンスが生まれている、
C 合併によって誕生した『新生 上野原 市民』が、このことをはっきりと自覚して、合併特例債によって実現しつつあるユビキタス社会のインフラストラクチャーをフル活用したライフスタイルを確立する努力の中から、10〜20年、否、50〜100年の長期上昇トレンドが生まれる、
D 何故か。『ユビキタス社会のインフラストラクチャーとライフスタイル』は、河岸段丘という上野原地域のデメリットをメリットに転じさせ、首都圏に最も近い田園都市(Pastoral Community)に首都圏のエネルギー、すなわち、企業と人々を誘引するのがその理由である、
 
 と私は考えています。


 今回、第8 WEB教室を立ち上げて、私の知識と経験が物語ることを書き留めたいと考えます。私は、この地に新設された帝京科学大学経営工学科の教員として、15年間、経済・社会・企業・職業についての講義と137名の卒業生の卒業研究を指導し、昨年4月からは谷口ウエノハラ研究を開設して、上野原研究を続けています。大学に着任する前は、合成繊維・プラスチックス・炭素繊維などの新素材、身近なところでは浄水器『トレビーノ』やメガネ拭き『トレシー』などなど、ポリマーサイエンスの領域における技術革新(イノベーション)に果敢に取り組んでいる企業の経済調査・市場調査と新製品の企業化をサポートする役割を勤めた後、『産業に根ざすTHINK TANK』の立ち上げと経営に携わって来ました。

 この間の知識と経験を基にして、上野原市の過去と現在を認識し、未来を展望するに当たり、私は、

@ 上野原市の過去と現在についての具体的事実の収集とその検証、
A 収集・検証された事実に基づく仮説の構築、
B 仮説に基づく全体像の構築、
C 全体を動かす因果関係の解明、
D 全体の動きを左右する要因の将来想定、
E それを基礎とする全体像の将来展望

 という手順を踏むのが『科学的アプローチ』であると考えています。

 『科学』とは何か、私が座右の銘としている『 I.S.E.D.』という英英辞典は『秩序立て、体系化された知識、特に、一つの出来事が他の出来事を引き起こす手順・道順、すなわち、因果関係 に関する知識』と説明しています。この方法は『AならばBである。BならばCである』という論理に従って考えが展開されますから、市民社会で共通の認識を得るだけでなく、一歩踏み込んで人々の納得と動機付けが得やすいというすばらしい利点があります。『途中の論理は抜きにして結論がこうなんだから私のいうことに従え』と言われてそれに従うのは一昔前の親分と子分の行動パターンと私は思っています。

 ここで問題になるのは、『上野原市の過去と現在についての具体的事実の収集』を行う場合、どの事実を取り上げ、どの事実は取り上げないかという『取捨選択』の判断基準です。おおげさな言い方をすると、この判断基準の相違が政党それぞれの立場となっているのですが、私の場合は、こと地方自治に関する限り、政治的には『無色透明・無味無臭、バイ ザ ピープル・オブ ザ ピープル・フォア ザ ピープル オブ ウエノハラ、すなわち、上野原市民の生活にプラスになるかマイナスになるかというこの1点に絞り込んで、是々非々で判断する』ということです。

 その次の問題は、歴史をどのように考えるかという『歴史観』です。この点について、私は『非人格的唯物史観』ではなく、英国の歴史学者アーノルド トインビー博士の『チャレンジ アンド レスポンスという人格的歴史観』に従いたいと考えます(私は大学の3年生の時、訪日されたトインビー博士の講演を聞き、就職した東レという会社で、会社を創業に導いた『レーヨン糸事業の収束』の意思決定の中にその歴史観が会社の経営を動かした現場に若い頃居合わせました。このシリーズの第19講で説明したヤマト運輸による決死的な事業転換もこのことを例証しています。閑話休題)。

『チャレンジ アンド レスポンス』という歴史観(ものの見方・考え方)

 ここで、上野原市の過去と現在を認識し、未来を展望するに当たって『チャレンジ アンド レスポンス』というものの見方・考え方について説明します。

 『チャレンジ』といえばわが国では『挑戦』、すなわち、『弱いものが強いものに立ち向かって行くこと』と思われていますが、私が座右の銘としている『 I.S.E.D.』という英英辞典はチャレンジについて2つの意味を説明しています。第1は『歩哨に立っている兵士が怪しい人影を見たときに発する質問』という意味で、漢字でずばりと言えば『誰何』(すいか)ということになるでしょうか。第2は『勝負への誘い』(いざない)です。

 私はこの説明から『強い立場にいる者が弱い立場にいるものに対して呼び掛ける状況』を読み取っています。弱い立場にいる者がチャンピオンに向かって『かかってこい』というのではなく、強い立場のものが弱い立場のものに『かかってこい』というのが自然な姿だと私は思うのです。『歩哨に立っている兵士は武装しています。怪しい人影は武装している場合もあるけれども通常の場合は武装していない』と考えるのが自然だと私は考えるからです。

 このような文脈の中で、私は『弱いものが強いものに立ち向かって行くこと』を表現する時は『挑戦』ではなくて『挑戦者』(より強いものに立ち向かう者)あるいは『応戦』(レスポンス)という表現が正しいと思うのです。英語でチャレンジと言われるとき同時通訳は『挑戦』ではなく『課題』と訳していることを私は知っています。

 チャレンジ アンド レスポンス』とは、『チャレンジ』、すなわち、動植物や企業から国家に至るまで、生き延びることを宿命としているシステムに襲い掛かってくる生命やその存立を脅かすような環境の変化=チャレンジのことであり、『レスポンス』とは、すなわち、『潰されて死滅するわけには行かないといって必死になって襲い掛かってくる環境の変化を克服しようとする行動』のことであります。トインビー博士は、西はローマ、東は蒙古、わが日本では徳川幕府など人類の歴史に繰り返される栄枯盛衰を『チャレンジ アンド レスポンス』という概念を立てて説明されたのであります。

 トインビー博士は、やおよろずの神々が並存する日本ではなく、ユダヤ教・キリスト教・回教という一神教の文化・社会を背景とした学者ですが、『チャレンジ アンド レスポンス というものの見方・考え方』を次のように説明されています(「歴史の教訓」:岩波書店1957 pp. 157-159)。

 バイブルもコーランも単一の人格神を前提とし、神と人間の邂逅(エンカウンター:対面する ;  困難な事態あるいは危険に直面する)の連続とみなしている。・・・・・神が人間に臨む場合は、神は人間に問題を投げてその解決を迫るという意味で人間に『挑戦』するのである。人間は神の意思にそう方法で解決するか、または、神の解決法を拒否するか、ともかくもいずれかの行動をとらなければならない。そこになんらかの非常に積極的で、新しいことが発生する。・・・・・人格的な見地から歴史を眺めるためには必ずしも神の存在を信じることが必要ではないと思われる。神の概念を抜きにして人間だけの観点から考えても、個々の人間とか人間集団とかの邂逅あるいはチャレンジ アンド レスポンスという観念は、非人格的な唯物史観よりはより実りある歴史の見方だと思われる。・・・・・15世紀末以後、すべての非西洋文明が西洋と邂逅してきた。・・・・・西洋文明は他のすべての文明に挑戦した。つまり、降参して西洋の支配に服するか、さもなければ、伝統的な生き方を徹底的に変えるかを強いた一つのチャレンジであった。
 

 (日本は、西洋のチャレンジに降参することなく、『受容の天才』という天賦の才覚を発揮して、明治の時代に科学技術、社会制度、風俗・習慣などなどすべてを西洋化し、応戦した。文字・宗教・科学技術・社会制度・生活習慣などのなかで、日本が外から受け容れなかったものごとは『純粋木造建築』だけといっても過言ではないと私は思っています。閑話休題。)

社会変動の根本は『@技術・A価値観・B政治・経済システム』

 『神が人間に問題を投げてその解決を迫るという意味で 挑戦 しているかどうか』は別として、人間社会において、会社、地域社会、国家などが崩壊した例は枚挙に暇がありません。

 なぜこのようなことが起こるのか。『チャレンジが行われている』からであります。何がチャレンジなのか。私は、これまでの知識と経験を基に、@技術、A人々の価値観、B政治・経済システムという3つの要因が絡み合って『チャレンジ』の中味が構成されていると私は考え、その最も奥深いところに、『人口の変動』が隠されていると考えていましたが、最近、C地球環境という要因を第4の要素として考えなければならないと思っています。これまでは、人間が合成繊維あるいは自動車を発明したごとく、自然にないものを創造して人間の豊かな生活を創りだしてきましたが、そのままでは駄目だということであります。(つづく)

2008−4−6   谷口ウエノハラ研究室  谷口 文朗TN



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