社会変動の根本は『@技術・A価値観・B政治・経済システム』 |
第8WEB教室の冒頭で、私は、社会を変動させる要因、すなわち、社会を繁栄させたり社会を衰退させる要因を見極める際の判断基準は 『政治的イデオロギー(主義主張)ではなく、人々の生活にプラスになるかマイナスになるかというプラグマティズム(実利主義)であること』および『チャレンジ
アンド レスポンスという歴史観』について私の考えを述べましたが、今回から、社会変動を惹き起こす個々の要因についての考えを述べたいと考えます。
『チャレンジ アンド レスポンス という ものの見方・考え方』に立って、社会の衰退と繁栄を観察すると、ものごとの存立を脅かして衰退させる要因、あるいは、社会に新しい可能性を拓いて進歩・発展させる要因が綱引きをしつつ絡み合っていることに気付きますが、私は、@技術、A人々の価値観、B政治・経済システムを主要因として取り出すことが出来ると考えています。
『新しい技術』が生まれることによって、これまでの技術によって成り立っていたものごとが死に絶えて行くことがしばしば起こります。鉄道が生まれた時、馬車は全滅しました。その一方で、鉄道が生まれた時、より多くの人々がより安い運賃で、より遠くまで、より早く、より快適に移動できるようになりました。鉄道は蒸気機関や通信の技術の目覚しい技術進歩を惹き起こすと同時にレールや機関車など鉄鋼製品の需要を生み出しました。
カラーテレビが生まれたために白黒テレビは全滅しました。その一方で、カラーテレビによって人々はより一層美しい、より一層臨場感のある映像を見ることが出来るようになりました。
より最近の身近な例では、携帯電話が生まれたことによって、街中の公衆電話がほとんど姿を消してしまいました。その一方で、携帯電話によって人々は時間と場所の制約から解き放たれて、何時でも、どこからでも電話で話せるようになりました。それだけではなく、携帯電話がインターネットに繋がることによって、携帯電話は固定電話をはるかに超えた機能と役割を私たちの日常生活の中で果たすようになっています。
新しいことがらは『イノベーション=技術革新』といわれますが、これに対して現在行われていることがらは『コンベンショナル』という形容詞で表現されます。イノベーションは既存のものごとを脅かしますが、既存のものごとでは得ることが出来なかった新しい、すばらしい可能性を拓いてくれています(ちなみに、時代を先見する知恵に対して、時代の常識は『現在時点における知恵という意味でコンベンショナル
ウイズダム』といわれています。閑話休題)。
技術と同じように『人々の考え方=価値観』も新しい価値観が古い価値観と入れ替わって、古い価値観の持ち主を社会から退場させます。例えば『男女平等』が時代の価値観となっているのに封建時代の『男尊女卑』を主張する男性は人生の伴侶を得ることが出来ず、子孫を残すことが出来ないでしょう。トイレと炊事場が共用となっている木賃アパートは、今の時代の若者の価値観に合わないために、幾ら家賃を安くしても入居者を確保することは困難で、社会から消え去って行きます。『プライバシー』という新しい価値観がワンルームマンションを求めさせているからです。
政治・経済システム(仕組み)もまた、大きな社会変動を惹き起こします。経済の仕組みが変わると何がどのように変わるか、機会があれば詳しく説明しますが、1ドルが360円と決まっていた固定為替相場制度の時代は『企業は日本国内で生産して輸出をすれば大いに儲かりました』が、1ドル360円が308円になり、やがて240円に、さらに180円になり、最近の120円から100円に変動する変動相場制度の時代では『日本国内で生産して輸出するのではなく、海外で生産してそこから輸出するのが儲かる時代になっている』ということであります。変動相場制の時代に国内で工場を建設して輸出するのは『労多くして益なし』ということなのであります。上野原市に本社がある上場第1号企業である株式会社エノモトもシンガポール、フィリピン、中国で生産するようになっています。
政治システムについては、法律や規則が社会変動を生み出していることを書き留めておきたいと考えます。自明のことですから。
技術・価値観・政治経済システムなどが社会の栄枯盛衰を生み出していることは観察すれば分ることですが、私は、これらの要因の一番奥まったところにある社会の変動要因は『人口変動』であるという
故 森嶋 通夫 ロンドン大学名誉教授の考え方が一番分りやすいと思っています(森嶋先生は恩師のゼミの大先輩で、一度でしたがロンドン大学の研究室に伺ったことがあります。それは質素な研究室でした。閑話休題)。
わが国はいよいよ人口減少時代に入って行きます。上野原市の市民、なかんずく、中山間地にお住まいの市民を情け容赦ない勢いで襲っている少子化・高齢化も人口変動を原因とする社会変動であります。
『人口の減少』という変動要因は社会にプラスよりはマイナス方向の変化を生み出しますが、マイナスの効果を減殺したり、大きくはないにせよプラスの効果を生み出すこともないわけではありませんので、そのための努力をしなければならないと思っています。
上野原市では『人口の減少』から生じるマイナスの効果を減殺したり、大きくはないにせよプラスの効果を生み出す社会基盤が作られていることを述べたいと思います。
私は、先週、桃の花が満開の笛吹市釈迦堂の古代遺跡を訪れました。国道20号線と中央高速道路工事の際に突然姿を現したこの遺跡を私はこれまで訪れたことはありませんでした。古代の遺跡には興味が湧かず、私は未だに静岡県の登呂遺跡を訪れていないのですが、釈迦堂遺跡の土器などの出土品の大きさとその多さに驚きを禁じ得ませんでした。笛吹市と甲斐市が共同で設立・運営している博物館を見学して、人々はなぜこの地に集落を築いたのかに興味を持ちました。住みやすかったといえばそれまででしょうが、どのような条件揃えば住みやすいということなのか、改めて考えさせられました。
食料が得やすい、水がある、あるいは、風水害という自然のチャレンジから守られるという地理的条件の他に、他の集落と交流・交易する交通の便が重要な条件であっただろうと私は推測した次第です。釈迦堂地域に産しない黒曜石が出土した事実によってこの時代にすでに交易が行われていたことが裏付けられていたからであります。
人々が集まるところ集落が生まれ、集落が拡大して都市が形成され、社会は発展します(東京・ロンドン・ニューヨークなど都市は東に発して、西へ西へと発展するという共通点があります。その理由について私は未だ納得できる説明を聞いたことがありません。閑話休題)。逆に、人が去り行くところ過疎が生まれ、社会は崩壊します。
なぜ、人が集まるのか。交通の便がよいところに人は集まり、人が集まるから情報が豊かになり、交通と情報が相乗効果を発揮して交易を活発化させ、一段と人々を吸引して都市が生まれるというのが自然の順序だろうと考えるのですが、如何でしょうか。
交易は新たな富を生みだすことが経済学の中の『比較生産費説』によって証明されています。人々は利潤動機を持っていますから、交易によって一旦利益が得られることが分ると次々に交易の輪が広がって行くことになります。逆に、交通の便が悪いところからは人は離れ、人が離れるから情報が貧弱になり、それが原因となってさらに人が離れるという悪循環が動き出すと私は考えています。
情報と交通はその昔から交易の基本的条件でありました。現代社会では情報と交通は産業が定着する『車の両輪をなす基本条件』なのであります。
私は、情報と交通が潤沢なところを『インフォメーション&トランスポーテーション リッチ』、逆に貧弱なところを『インフォメーション&トランスポーテーション
プアー』と表現したいと考えます。
この観点から、上野原市ではじまった光ファイバーによる情報通信基盤整備事業は現代社会における繁栄のための『車の両輪をなす基本条件』の一方が整ったことを意味するのであります。
|